[ 本(模型と関係ない) ] 2019/12/15(日)

数ヶ月前、テレビのバラエティ番組で山月記の事が紹介され、この作品を知ることに。
テレビであらすじが紹介され、ストーリーにも勿論興味惹かれたのだが、それ以上に番組内で言及されていた作中のある文言がすごく気になったので、確認のために是非、読みたいな、と。
文言とは「自尊心」
主人公はそれのために人となじまず、超自然的な力により、人食い虎(獣)と化してしまう。
(↑)の寓意はわかるんだけど、自尊心の為に人となじめず、人と相容れず、そして獣に化けちゃうなんて、少し展開としておかしいな?
きっと番組スタッフは別の言葉を間違って使っているんだろう?
多分、原本では、「思いあがり」とか「傲慢」とか「自意識過剰」とか、そういう類の言葉が使われているんじゃないの?と、想像を逞しくしていたのだが、原本でも「自尊心」と表記(ガ~ン、、)
原本には「自尊心」と記述されているのだが、それでもやっぱり納得できない。
自尊心ってあって然るべきものであるし、高く持つべきものだから。
そして、ふと思う。
作者の中島敦さんがこの作品を執筆したのは昭和17年(わお)
その頃と今では言葉に対する解釈用法が違うのじゃなかろうか?と。
そう思うと、作中主人公が友人に漏らす、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」という表現も何だかおかしな言い回しだな~?と。
言わんとするところは察するのだが、言い回しがなんかヘンだな、と。
戦中はこういう言い回しだったのだろうか?
現代的に言うなら、「根拠の無い自信」と、4文字熟語の「厚顔無恥」ってところだろうか?
主人公は根拠のない自信から誰に師事することもなく、他と切磋琢磨することもなく、かと言って己を厳しい目で見る事もせず、しかし厚顔無恥にも、己の才能を信じきっていたので現実から目を背けるばかりで、ある日それらに身体を奪われ獣と化してしまった。
獣と化してしまった主人公は友人に自分の詩を世に発表して欲しいと望み、次に残された妻子の世話を頼む。
作中、主人公もこの順番は間違っていることに気付き自嘲するが、根拠のない自信に捉われたものは彼に限らず、こんな境遇に遭ってしまっても、先ず第一に、「己」なんだろうか?
獣と化した下り、そしてそれに続くことから、強すぎる利己主義を諌める秀逸な寓話。
現代のSNS社会においても、肥大し続ける承認欲求とそれの充足のため、「映え」のワードの元、非常識な事を繰り返す人達も、ヒトに害なす、人食い虎と化してるのかも知れないな。
(そして、撮影機材や、撮影マニュアルのお蔭で、見栄えは良いがそれらはただ、『お手本どおり』にしただけで、才能ではない。
作中主人公の友人が、虎が詠唱する詩に感じた違和感とは、こういう事だったのじゃなかろうか?)